絵との距離
河村:あと展覧会で接客してる態度がとても真摯っていうか、
真摯っていうと胡散臭い感じするけど。
すごく目の前の人に集中してるっていうか。
塩川:接客してる自覚がないんです。
河村:あー、ほんとにないんだろうって思ってた。
私は全ての人に対してあーいう風にはできない。
展示の時のいづみちゃんは、生き生きと聞かれた質問に
きちんと答えてた。もし全然違うタイプの人がふらっと来ても
絶対態度を変えてないだろうなって思った。
塩川:世の中にこんなにいっぱい見るものあるのに、
ここへ来てくれたっていうことが
まずすごいなあって思うし、有難いなって思う。
有難い、有難いですいません〜ってて言うんじゃなくて
河村:勉強になります(笑)。
塩川:あはは。
河村:私は感謝の気持ちが申し訳ない気持ちになって、
すいません!になってしまう。
で、すいません~、すいません~ってなっちゃって
疲れちゃうことがある。
塩川:あ、それはまた違うかも。
河村:どういう意味?
塩川:人は絵を観に来てくれてるわけで、
私を見に来てるわけじゃないから。
私を見に来てくれるなんてことはまずないんだけど。
なんで私の絵に興味持ってくれたんだろうなって
純粋に知りたくなるし。
変な意味じゃなくて、 私自信も自分が描いてる絵を
面白いって思っているし、面白いから続けてるので
それを同じように思って見てくれてる人への
興味みたいなものがあって。
それって絵と私に少し距離があるからかも。
河村:私にはその距離がないのかもしれない。
その距離ができるには何が必要なんだろう?
塩川:もし自分だけで何十年描いてた絵を
初めて人に見せるってなったら、
きっとこんな風にはできないんだけど、
絵の仕事って最終的に私だけのものではなくなることが多くて、
常に誰かしらに見られてるって言うのが普通になってるから
その距離ができたのかも。
河村:ふーん。なるほどねえ
塩川:描いてるときはわーッってなるけど
描き終わった後は並べて私も客観的に見なきゃな
と思っていて。
だから展示したころには距離がある。
でもなんかひたすらありがたいなって思う。
河村:でもいづみちゃんを見に来てる人もいると思う。
塩川:あー、セットでという意味で。
それは自分もあるかも。
あーこの人がこれを描くんだなっていう。
全然知らずに見るよりは、作品の印象変わりますね。
河村:作品から入ると一体どんな人が描いてるのかなあって
興味が湧くもんね。
塩川:すごい意外だなあっていうギャップも面白いですよね。
イラストレーションの仕事は、メールだけでやりとりして
人と会わずに終わっちゃうときもあって
絵が最終的にどんな風になるかも私が把握してないことも多い。
河村:それも面白いね、ドキドキ。
塩川:私がまとめたらこうなっちゃうなあって思うけど
そっちじゃないんだなってこともあるし。
でもその判断は好みとはまた違うから。
そこは結構割り切ってる。
世の中で良いと思ってくれる人が多ければそれでいいと思うし
必ずしもそれがど興味のど真ん中の好みじゃない時もある。
そこはお仕事として判断することも多いです。
だからと言って愛情がないわけじゃない。
河村:自分の興味や好みのど真ん中ってことが愛ではないよね。
フェミニズムやってて例えば人を救うことも、
いわゆるそれの対極にあるものが
本当の救いになることっていっぱいある。
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