とりはだ(さぶいぼ)
私の中に子供の心を感じて、あ〜まだこんな年になっても
残ってるんだなと思う時があります。
だけど私は大人になって、お金を稼がないと生活できないし、
怖いものが気づかぬうちに増えていて、黙ってしまう。
思えば子供の時だって自分の中の大人が、
子供の私を黙らせたことが何度もあった。
気にしないふりを強いられ、少しずつ自分でもわからなくなっていく。
長い年月をかけて育った膿は、いつのまにか顔にも現れるのかな。
その違和感に周りの人が気づく頃には、すでに手遅れで、
私自体が膿になっている。
なんてこと意外とあるあるなのかもしれません。
たとえ最後は自分が膿になってしまったとしても、
家族や友達のため、生きていくことのために
自分の気持ちに蓋をして主張することを諦めた人たちを、
私は一番きれいなんじゃないかと思ったりしている。
不器用で弱い私たちを誰が慰めるって、自分で慰めるしかないことを
フェミニズムは教えてくれたんじゃなかったっけ。
子供のまま大人になった女たちの声が他人に思えない時の
あのどきどき感。
だからこそ、何がどうなってそういうことになるの?みたいな、
他人の気持ちをコントロールできる自信があって、
はにかんだ笑顔もなんのその、(ってこれは違う場合もあるけど)
自分で人生のあらゆる選択を決めていいという
もっとも大切な権利を(意図してない風に、かつ確実に)
他人から奪うことに何も感じない人たち。
どれだけ笑顔で楽しく話していたって、
私の腕に鳥肌がたっている時は、何かのサインだ。
私の中の子供の心が何か言いたくなってる、
悲しいほどささやかな訴えなのだ。
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