夏休みの宿題



 幼い頃の自分が少しずつ内側に戻ってきている。

 全く手をつけていなかった夏休みの宿題を

 焦って片付けるみたいな気持ちで

 お盆あたりに実家に帰ってみた。

 子供として帰省するべき時期に

 帰省したのは初めてかもしれない。

 隣のお姉さんに屁こきのゲラ子と

 呼ばれていたことを思い出した。



 姪っ子にも会いに行った。

 弟夫婦がローンを組んで建てた八尾にある新居

 (と言っても数年経っている)

 遊びに行ってないのは私だけだった。

 レンタカーを借り、口うるさい母と妹二人、

 私が運転して向かった。

 (父はしんどいから家でかずえ(犬)と留守番がいいそうで)

 40分ほどかけて家に着くと、前に置いてある鉢もののハーブや

 草花がこの暑い時期に元気いっぱいピンピンしていた。

 弟の奥さんがどれだけ手間をかけて暮らしているか

 中まで入らなくとも一目瞭然だった。

 中学生の頃から早く子供が欲しいと言ってた変な子だった。

 元気なラベンダーやローズマリーを見たらもう十分、

 感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。



 5歳になったばかりの姪は、

 私を見た瞬間、宙を向いたまま石のように固まっていた。

 「知らん人おるから緊張してるんやな〜!」

 私もそう思っていた....。

 だいぶ慣れてきた彼女とふたりっきりで

 遊んでいた時に私を見て固まってしまった理由を話してくれた。

 「あんな、としえ姉ちゃんっておじさんやと思ってん。

 だってヒゲも生えてるし。」

 私と一緒にごはんを食べ、話すうちに性別はどっちでもよくなって、

 私のことが大好きになったらしい。

 (ヒ、ヒゲっ!?)

 帰り際、私たちが泊まっていかないことがいよいよ

 わかって泣くのを必死で我慢している姪っ子。

 その横には、もっと悲しそうな顔した弟がいて、

 「あいちゃん諦めよ。 パパもこの人と中学から数えても

 10回も会ってへんねんから!」

 という変な慰め方をしていてキュンとなった。



 「父から見た戦争」の話を聞くこともできた。

 自分のルーツに向き合うことがひたすら面倒くさくて

 今まではどうしても聞けなかったこと。

 祖母が16歳で日本にきた理由、広島で過酷な暮らし。


 多分いつまで生きていられるかという問題もあってか

 たくさんのことを話してくれた。

 仲の良かった日本人の同級生の話をしながら、

 あの当時は日本人も韓国人もみんな苦労したんだと

 突然泣き出した父の顔がほんとに子供みたいで、

 私の胸を何かが貫いてしまい、

 その何かのせいで東京に戻ってから数日後に、

 私が大泣きしてしまった。(なんでやねん!)

 この時の顔を父の何よりも大事な記憶のひとつとして

 覚えておきたいなあと思っている。
 
 残酷に言えば、経済的な権力関係が家にいたころと

 逆転していたこともあるかもしれない。

 だけどそういうことも全部ひっくるめて、

 私たち家族はお互いを認めることがやっと少しできた。

 何よりそれは、やっぱり嬉しかった。






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